1 December, 2011 05:32

いいのかなーって思いながらも

何度も撮影してしまう教会の景観

あまりにも感銘を受けるんで
納めておきたくなってしまいます

今回のアルゼンチン滞在で

本当に何度も拝観した教会

歩いていると偶然出くわし

そのままスーっと入っていくと
平日の日中ならいつでも入れるようになっていて

中に入った瞬間

外とは全く違った空間を目の当たりにする

その感動が忘れられなくて

何度も体験したくて

それらしき建物を見つけると
吸い寄せられて

扉を開いてしまいます

期待して踏み入れた建物は
いつも私を裏切ることなく

毎回違った感覚を味あわせてくれます

でも

必ずと言っていいほど拝観するのは

イエスキリストが十字かにかけられる様

そういうものだとは分かっていながらも
やはり胸に刺さります

辛いものがあります

忘れてはいけない

そのものなのですが

どの教会へ行っても
必ず感じなくてはいけない無情感
無念
残忍さ

ずーっと思う事は

人はなぜ
人をここまで傷つけられるんだろう

全て人間がやった事

死が終わりだと思っている人間がやった事

私達の過去に関する情報は
文献か写真、又は映画です

私は映画で
本当にひどい時代

ほとんど統制が成されていないような出来事を知ります

そんな時代に生まれていたら

と思いもするけれど

どんな時代にもひどい事件はあって

記録に残されるようなものは
何か特別な出来事であるものだから

そんな印象を持つのかもしれませんが

良いことと
悪いことの境目

平凡と非凡の定義は

時代によっても
国によっても
個人によっても

違うんですよね

自国を離れて
季節も真逆の国に来て

こんな事を考えてる自分

普通?

Samsungの端末から送信しました。

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